3D.宇宙船と「無重力」

  D−2 宇宙船と「無重力」

ISSでの日本人宇宙飛行士の活躍もあって、宇宙船や宇宙ステーション内の映像が身近になっている。その画面で乗組員が 船内をフワフワと遊泳する姿は誰にとっても印象的である。それは一般に「無重力状態」と呼ばれている。「無重量」と呼ぶ人もいる。先生や解説者が「実は無重力というのは正しくない」と言ってなぜフワフワするかを説明しても、生徒や一般の人が理解するのは難しい。「無重力」以外の適切な呼び方がなく、慣例的にかっこつきで「無重力」と呼んでいるのも混乱の一因である。この問題を取り上げてわかりやすい説明を探すことを試みた。

    1.「宇宙ステーションで体が浮くのはなぜ?」の問題


1)宇宙ステーション(ISS) 船内外での浮遊

Fig.1 ロケット

Fig.2  宇宙ステーション ISS

Fig.3   宇宙ステーション内外での遊泳

 

 

2)あるアナウンサーの報道

    
(アナウンサー)・・・打ち上げられたロケットは、順調に高度を上げて地球の重力圏を脱し、無事ISSに到達しました。そこは、重力の無い宇宙で、乗組員の体がふわりふわりと浮く世界です・・

 このアナウンサーの表現は一般に抵抗なく受け入れられているものであるが、下線の部分が今回問題になる箇所である。

 


3)テレビ番組「チコちゃんに叱られる!」(2021.11.26放送)

今回の番組のテーマは、「宇宙ステーションで体が浮くのはなぜ?』である。

Chikochan, 5 year-old talented girl 
(チコちゃん) ボーと生きてんじゃねーよ!   宇宙ステーションで体がふわりと浮くのは無重力だからじゃない。正解は、地球に向かって落ち続けているから。遊園地のフリーフォールと同じ様な状態が続いているということ。

この番組の様子はウェブサイトで紹介されている。番組の解説は丁寧だったが、理解できない視聴者が多かったようだ。

筆者は番組を見ていない。この番組を見た方から、よく理解できなかったがどういうことですか、と質問された。

4)上のテレビ番組を見た人たちの感想

(Aさん)えー、宇宙は無重力だと思っていたけど?
(Bさん)落ち続けるって、宇宙ステーションは地球に落ちていないじゃない?
(Cさん)1秒間に8km横に進む間に5m地球に向かって落ちているって超斜めじゃない。フリーフォールと言えるかなあ?
(Dさん)体が浮くのは、重力と遠心力が釣り合っているからと習ったぞ。

Dさんの意見は番組の出演者からも出されていたが 、番組で正解とされなかった。


Fig.4 フリーフォール

イギリス・チェルシーThorpe Park (ソープパーク)のDetonator

 

    2.宇宙ステーションISS

  

1)ISSの位置と重力

Fig.5で、ISSの軌道にある物体にはたらく重力(地球による引力)の大きさFISSと地球表面にある物体にはたらく重力の大きさFeの比、FISS/Fe、を求めている。比は0.89(89%)であり、ISSでは地上と比べて89%の重力がはたらいるので「無重力」ではない。つまり、上のアナウンサーが「地球の重力圏を脱して」と表現したのは適切でない。

ISSの高度は地上約400kmであり、Fig.6の概念図の方がその位置を捉えやすい。また、大気圏の構造との関係をFIg.7に示した。地上100kmのカルマン線より上が「宇宙」とされている。(100kmは東京-熱海間の距離だ。)「宇宙」もISSも意外と地表に近い、というか、概念図を見るとISSは地表スレスレを飛んでいるとも言える。ISSの軌道は大気圏の中にあるが、この位置の空気の密度は低くISSの運動にたいする影響は小さい(影響はゼロではなく、ISSでは一週間に一回程度軌道修正をしているとのことだ)。なお、静止衛星 Geostationary satelliteの軌道は地上36,000kmとISSの軌道と比べて桁違いに高い。

Fig.5 ISSの軌道上の物にはたらく重力

Fe:地上における重力、FISS:ISSにおける重力

Fig.6 ISSの位置を示す概念図

Fig.7 大気圏とISSの位置

2)ISSの「推進力」の源、慣性

ジェット飛行機はジェットエンジンを推進力にしている。では、ISSは何を推進力にしているだろうか?実は、ISSなどの宇宙船は通常ジェット噴射などの推進力を使わずに慣性で軌道運動をしている(前述したように、ごく薄い空気の抵抗などを受けるのでときどき噴射により軌道修正をしているが)。つまり、推進に必要なのは、目的とする軌道半径に求められるだけの初速度だけである。その後は原理的には慣性により半永久的に運動を続けることができる。つまり、推進のための燃料費はかからない。


推進の原理となるのは、ニュートンの運動第一法則である(Fig.8)。「釣り合い状態にない」力(unbalanced force)が働かない限り、「静止している物体は静止を続け、運動をしている物体はその運動の向きとスピードを維持する」という法則だ。Fig.8のa)で、物体(ボール)には実は重力(地球の引力)と地面からの垂直抗力という二つの力が働いている。この二つの力は釣り合っているので物体の静止状態に影響せず物体は静止し続ける。

過程 b)で釣り合い状態にない力がはたらいて運動が始まる。c)のように一旦動き出した物体は力による推進力がなくても「慣性により」動き続ける。そして、力が全く加わらない理想的な状態では「向きもスピードも一定」な運動を続ける。

さて、c) では現実にはボールに空気の抵抗力や地球の引力など「釣り合い状態にない」力が加わるし、d)のようにネットに当たれば跳ね返るなど、運動の向きやスピードは変化する。では、これらの力が加わったとたんに慣性は消えたのであろうか?消えていない。「慣性」と新たに加わった「力」の両方の「はたらき」で運動状態が決まっていくのだ。

ニュートンが、力と運動に関する「運動の第二法則」とは独立に第一法則を提示したのは「慣性」が「力」とは独立した重要性を持つ自然の基本と考えたからである。別項でも具体的に議論する。

Fig.8 ニュートンの運動第一法則(慣性の法則)

a)静止している物体は静止し続ける。でも、b)釣り合い状態にない力が加われば運動する。c)運動している物体は等速で等方向に運動し続ける。でも、d)釣り合い状態にない力が加われば運動が変化する。

    3.エレベーター

宇宙ステーションの代わりにエレベーターを用いて運動を検討する。少年が、エレベーター室内に置いた体重計上にのり、おもりのついたゴム紐を手にしている。体重計の針の位置とゴム紐の変化を観察しよう。


a)見かけの体重                 b)事故で落下!            c)宇宙を自由落下

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Fig.9 見かけの体重の変化

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Fig.10  自由落下

エレベーターを下げているワイヤーが切れてエレベーターも乗客も自然落下した!その間、体重計はゼロを示している。一瞬「無重力」を感じたわけだ。(幸い安全装置が働いて無事着地した。)

Fig.11 宇宙を自由落下

Fig.9は実際のエレベーターの運動状態に近く、乗っている人はフワッとしたり沈み込むように感じる。Fig.10のようにエレベーターを支えるワイヤーが切れて自然落下したり、遊園地のフリーフォールが高速で落下する場合には、落下時間も短く、空気や機械の抵抗を感じてフワフワするような浮遊感を感じるのは難しいかもしれない。しかし、仮にFig.11のようにエレベーターが宇宙を落下する場合を想定すると、周囲の景色が変化せず、落下に伴う振動や抵抗も感じないので、フワフワとした浮遊状態になるだろう。

    4.落体の法則

宇宙を落下するエレベーター内でフワフワ感を感じるには大事なことがある。それは人とエレベーターの運動が全く同じでなければならないということだ(Fig.12)。もし重い(質量が大きい)エレベーターが中にいる人より速く落ちていくと人はエレベーターの天井に頭をぶつけてそこに押し付けられるであろう。実は、空気抵抗が無いか無視できる空間では、落ちる速さは重さ(質量)に無関係であることがわかっている。これを「落体の法則」という。

Fig.12 もし宇宙で同時に落ちたら・・

Fig.13 落体の法則

16世紀末まで重いものは軽いものより速く落ちると考えられていた。ピサの科学者ガリレオは落ちる速さは重さによらないと結論した。

ガリレオがピサの斜塔で重さの異なる2個の物を落とす実験をして新理論を劇的に実証したという言い伝えがあるが、この話は疑わしい。彼は「思考実験」をしたのだ。

Fig.14 ガリレオの思考実験

重さ、形状、材質が同じ3個の物体A、B、Cは当然同じ速さで落ちる。AとBをごく軽い鎖で結んだらA+BはCの2倍の重さであるが落ちる速さはCと同じはずである。
「落体の法則」の完全な説明はニュートンによってなされた。3

Fig.15 
Galileo's Drop

生徒実験



こうして、地球に向かってまっすぐ落ちる部屋の中では、中にいる人と部屋の床(または体重計)が同じ速さで落ちる(正確には同じ加速度で落ちる)ために、床から垂直抗力を受けず、フワフワと浮遊すると考えられる。




    5.身体のフワフワ感

上では、人と部屋の関係を考察したが、自由落下では人間の身体そのものがフワフワ状態になる。これを考えよう。Fig.16は人の身体のモデルで、頭(5.0 kg)、体(50 kg)、足(10 kg)の3個の部分を軽い骨、Neck-1とNeck-2、が連結しているとした。次の3つの状態を比較する。(a)床に静止しているとき、(b)自由落下している時(加速度9.8 m/s2)、(c)エレベーターで上昇している時(加速度9.8 m/s2)。

Neck-1、2に加わる力を(a)、(b)、(c)それぞれについて求めよ。


自由落下しているとき(b)では、頭、体、足のそれぞれにかかる力は重力のみで、同じ加速度gで自由落下していくことになるからNeck-1、2にかかる力はゼロとなる。こうして自由落下中では身体がリラックスしてフワフワ感が増すであろう。トランポリン、プールの飛び込み、遊園地のフリーフォールでこのようなリラックス感を感じた人もいるのではないだろうか?

次にまっすぐ落ちるのとは異なる運動について考察しよう。

続きます。

Fig.16 人の身体のモデル 頭、体、足がNeck-1、2でつながれている。a、b、cの状態でNeckにかかる力を考察する。

文献・注
2.アルベルト・A・マルティネス(野村尚子訳)「科学神話の虚実 ニュートンのリンゴ、アインシュタインの神」青土社、2015.
3.このガリレオの説明は最も単純な形の思考実験で、落体の法則の完全な証明ではない。完全な説明は、ニュートンにより示された。重力(地球が物体を引く力)は質量に比例し(万有引力の法則)、加速度は質量に反比例する(運動の第二法則)。結果として重力により生ずる加速度は質量に無関係となる。