ラノ・ララクからポイケへ
Rano Raraku to Poike
第三日
仕事日 昨日はドイツ青年の車に乗ったおかげでイースター島の主立った観光地をほとんど廻ってしまった。一週間かけてゆっくり廻ろうか、との最初の計画が変わってしまった。
やりかけの仕事を思い出した。今日は民宿の木陰のテーブルで仕事をしよう。天気が良くてじわっと暑いけれど気分は最高だ。
第四日
トンガリキからラノ・ララクへ 朝7時に起きて朝食後歩き始める。ちょうど来たタクシーに乗りトンガリキへ。15体のモアイが立っている海岸である。ちょうど日の出である。一昨日会ったテレビカメラマンも来て撮影をしている。
朝日を受けてモアイの影が長く伸びている。その影の先にあるのがラノ・ララク、モアイが生まれた山だ(ビデオ)。
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トンガリキからラノ・ララクまで歩く。山に登る。来た道を振り返るとトンガリキの15体のモアイ、その後ろの海、さらにその向こうに荒々しいポイケの崖が見える。息をのむ光景である。
このラノ・ララク山には建造途中のモアイが沢山残されている。あるとき突然建造を止めそのまま時間が止まったみたいだ。どこからか、石工が現れて建造を再開するのではないかと錯覚をおこすほどだ。一方、明らかに故意に破壊したと思われる大きなモアイもある。
島内のすべてのモアイはこの山で製造されて島内各地に運搬され、アフ(台座)の上に立てられ、また帽子をのせられ、そして白い目を入れられたのだ。
大変な作業である。この小さな島でこのような「非生産的な」仕事に携わることができたのは、おそらくこの島が豊かでそのような「非生産的人間」を養う余力があったのであろう。それと、モアイの運搬やそれを立てる作業には沢山の木が使われたと推定されており、以前この島が森林で覆われていた証拠があるそうだ。
しかし、現在島には大木は1本もない。巨大なモアイを次から次に建造し、工事に使用するため木は切り尽くしてしまったのであろう。最後の1本を切った人はいったい何を考えたであろうか?そう、イースター島の悲劇は今「宇宙船地球号」に起こっているのかもしれない。そう思って、荒涼とした島を見渡すと、人類の将来を暗示しているようで思わず身震いをした。
カルデラに眠るモアイ そんなことを考えながら山道を登る。登り切ったところで急に視野が開けた。カルデラになっていてそのカルデラの中央に池があるのだ。歩いていくとここにも建造途中と思われるモアイがあちこちにある。
周囲にはだれもいない。独りだ。しばらくして、カルデラの壁を登っていき南方の景色を見ようとした。そのとき足下に寝ている巨大なモアイに気づいた。
カルデラの壁の内側に沿うように横たわっているモアイ。 もう少しで完成するところで打ち捨てられておよそ300年。空を見つめるその顔は私にぶつぶつとなにかを語りかけているような気がした。君の姿を見るのは初めてだけど、初めて会うような気がしない。君に会うためにこの島に来たような気もするよ。しばらくそうやって会話をした。
写真を撮ろう。モアイ、その向こうのカルデラ湖、カルデラの壁、島の西方部、そして南太平洋を入れて撮ったのがこれだ。私がイースター島で撮った中で一番気に入ったものだ。今度君に会うのはいつのことだろうか?
写真で、中央左で、雲の左下にある山が今日午前中登ったラノ・ララクである。あそこからずいぶん歩いたものだ。そのさらに左の海岸が15体のモアイがあるトンガリキだ。ラノ・ララクの手前に緑に見えるのは試験植林をしているところで、それ以外は森林の無い島であることがよくわかる。
このポイケの山の頂上にも火口跡がある。さらに東へ歩く。まったく人気がない。島の東は切り立った崖である。そこを歩いているとジープが来た。観光客のレンタカーだ。これに乗せて貰い、島の北にあるアナケナビーチで降りる。休憩後ハンガロアへ戻った。今日は炎天下よく歩いて少し疲れた。
民宿にアルゼンチンの夫妻が泊まっていて、昼は暑いから昼寝して夕方涼しくなってから行動するという。私もそれにならって明日は昼寝をしようか。
逆さのオリオン 夜空を見上げると、星がきれいに見える。南十字星がお目当て。よく似た十字型の星がそばにあるので紛らわしい。それと興味を持ったのがオリオン座。日本やアメリカで見るのと形が違うぞ。そう、オリオンの短剣が上を向いているというかオリオンが逆立ちをしているのだ。南半球だから?それから紙と鉛筆であれこれ考えて、なるほど南半球では星座が逆さに見える、ことを納得した。
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