ラノ・カウなど
Rano Kau
早朝に起きて島の西にある大きなカルデラ、ラノ・カウに歩いて行くことにする。
ハンガロアの小さな村をぬける。南太平洋の波が海岸の崖に打ち寄せている。自然のままの荒々しい風景が拡がっている。右写真のあたりから登山道になる。
登山道から東を見る。すぐ下に空港の滑走路がある。この島にしては大きく立派な滑走路である。これは、スペースシャトル緊急着陸用に併用する目的で建設されたためこのような規模になったという。まだ一度もスペースシャトルが使用したことはないが。空港の向こうにはハンガロアの村がこじんまりと見える。
およそ1時間の登山で頂上に着いた。そこからラノ・カウのカルデラが一望できる。直径が2キロメートル以上あると思われるきれいな円形をしていてその底は平らで湿地帯になっているのか多数の水たまりが見える。カルデラの上から底までは急峻な崖になっている。そのすばらしい景色に息を飲んだ。
写真に写っているのは、ドイツ東部から来た青年で二人でレンタカーで島内をまわるという。彼らの車に乗せてもらうことになった。
イースター島の島民はポリネシア人で紀元500年頃タヒチ方面からここに来たとされている。それも、一回来ただけで、その後他の地域と交流した形跡がないという。その島民がなぜモアイを造りその巨大な石像を運んだかは大きな謎である。
最後に、モアイの赤い帽子の産地に行く。すべてのモアイ本体はラノ・ララクという火山で造られたが、帽子はそこから10キロメートル以上離れた島の東南部のプナ・パウで造られた(左写真)。モアイの上にこの赤い帽子をのせるためには、運搬に加えてさらに複雑な作業と労力が必要だったであろう。
水平線に真っ赤な太陽が沈んでいくところだ。幻想的である。ふと見ると、日本人のテレビカメラマンがこの風景を撮影中である。テレビの番組間に使う映像だそうである。
ハンガロアに戻り、海に突き出たレストランでドイツ青年ともども食事をした。彼らは明日島を離れチリの最南端まで旅行に行くという。最後に、英語がにがてだった方の青年が私を抱いて挨拶してくれた。ほろり。
(後日談。その後私が撮影した写真を彼らに郵送した。そのお礼に手紙をくれた。彼らはイースター島からサンチャゴに行ったが、そこでカメラを盗られてしまった。そのためイースター島の写真は私の送ったものだけだと感謝していた。なお、9月11日のすぐあと心配して手紙をくれた。)
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