私にとって、日本から「パッケージツアー」に参加したのはこれが初めてである。今回は初日から強行軍で、ドーハ着が午前3時、イスタンブール着が午後12時半で、
イスタンブールからのバスでアンカラに移動しそこのホテルで食事をしたのが午後8時であった。次の日も同様で、夕食は午後9時で翌朝3時半起床というハードな観光。
日本人が観光に勤勉であることを配慮した日程なのであろう。ロシアからのパッケージツアーでは、対照的に遺跡観光もなく日程中ずっと飲んで遊んで、ですよという
解説もあった。
同行した諸氏とすぐに打ち解けて楽しい旅となった。写真は、ネフェソスの遺跡にて(加藤陸彦さんからいただいたもの)。
バスガイドは、シネム・テリヤキさんという日本語を話すトルコ美人。写真は政府発行のガイド証明書で、観光ガイドは、トルコの政治、経済を外国人にPRする重要
な職業のようだ。トルコは、隣接する国々とあまり仲良く無い(日本と同じだ)からだ。地続きで隣接する(あまり仲良く無い)国々は、ギリシャ、ブルガリア、グルジア、
アルメニア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアの7カ国。トルコ国旗は赤地に月と星。赤はトルコ革命で流されたトルコ国民の血を表す。20世紀初頭、亡国の
瀬戸際から国民の力で独立を勝ち取ったので愛国心が強い。7500万人の人口に対し65万人の軍隊を抱える。「トルコはヨーロッパである」という意識が高いにもかかわらず
念願のEU加盟も進展が思わしくない。
日本については、和歌山・串本沖で遭難したオスマン帝国軍艦の乗組員を町民が救助した話がトルコの小学校の教科書に載り、またトルコの宿敵ロシアを破った国、トルコ
革命の模範となった国として尊敬されている。イラン革命のときにテヘランに取り残された日本人のためにトルコは民間機を飛ばし彼らを救助したが、これは串本のお礼で
あったということである。ボスポラス海峡をまたぎヨーロッパとアジアを結ぶ橋は石川島播磨重工により建設され、近年は海峡トンネルも大成建設の参加で完成し開通式典
には安倍晋三首相も出席したのは記憶に新しい。安倍さんにはこれからも内政・外交ともにがんばって欲しい。
また、日本からのパッケージツアー客は、高級品(カーペット、陶器類、トルコ石、革ジャケットなど)に金払いの良い最高のお客さんであるようだ。
奇岩がすばらしい景観を作っている。火山活動で出来た大地が浸食されて形成された。これらの奇岩のあちこちに穴が見られるが、中は広い部屋となっていて
壁画のある教会などもあるという(今回は見ることができなかった)。写真は、私のただ一つの貴重なお土産で、1.5トルコリラで買った奇岩の置物。
キリスト教徒が隠れ住んだと言われ、礼拝所、台所、寝室、家畜部屋、ワイナリー、トイレ、通気口などを備えた広大なもの。カッパドキアには36の地下都市があって、
ここカイマクル地下都市が最も広い。地下8階まであるが、公開されているのは地下4階までで、地中に延々と続く穴を全員アリになった気持ちで歩いた。
見学した地下都市の場合、数万人の収容能力があり、1000人規模の人が常時住んだと推定されているとのこと。
どのような人たちが住んだのか詳細はわからない、とのことであるが、文字の記録などは残さなかったのであろうか。
早朝、およそ1時間、カッパドキアの奇岩群上空の空中散歩を堪能した。この写真は日の出前である。右端の気球はガスの火がともった瞬間で明るく光っている。
日の出の朝日を受けて。 熱気球はガスを燃焼させたときだけ短時間大きな音が出るが、乗船中の大部分は音も無く揺れることもなく快適な空中散歩であった。
搭乗費用はおよそ2万円/人。熱気球一つにつき20人搭乗。毎朝およそ60の熱気球が揚がる。つまり毎朝2400万円のビジネスだ。ウォー!パイロットは英語が上手でした。
ヒエラポリス(Hierapolis)遺跡は、古代の温泉静養都市跡で、その近くにあるのが美しいパムッカレの棚段である。トルコ観光のポスターで有名。
水酸化カルシウム Calcium hydroxide Ca(OH)2を溶かした水分が地中から地上に出てくると空気中の炭酸ガスと反応して水への溶解度が低い炭酸カルシウムCaCO3となり
析出して堆積して出来る、という化学はわかるけれどこの造形の美は化学式では表せない。
ホメロスの「イーリアス」で描かれたトロイ戦争の舞台とされ、古代のロマンを夢見ることができる土地である。ここを見つけたシュリーマンは、時代別に9層に重なった遺跡のうち、下から2番目の第2層に火災があることからこれがトロイ戦争時代のトロイ市跡と推定したが、その後の調べで、これは誤りで、第7層がそうであるとされている。第7層は一部の壁を残してシュリーマンによりその大部分が破壊されたという。今から3000年以上前の舞台を想い楽しむことができた。映画のために復元された木馬も面白い。馬の腹部に50人、その上の部屋に20人は隠れることができそうだから、トロイ人が城内に持ち込んでくれたら馬の中の兵士が城門を開けて味方のギリシャ軍を引き入れる活躍はできそうだ。
トロイの木馬について - トロイ戦争でギリシャ軍はトロイの国の象徴である馬にちなんで大きな木馬を建造しこれを残して撤退し
たと見せかけた。勝利に沸くトロイ人はこの木馬を城内に引き入れたが、実は、木馬の中にはギリシャの精鋭が隠れていてその夜ト
ロイ城の城門を開いてギリシャ軍本体を引き入れてトロイを滅ぼした。・・・・・という有名な物語は映画で見たこともありずっと
興味を持っていた。この物語をもっとよく知ろうと、少年時代にホメロスの「イーリアス」(岩波文庫版)を読んだ。読み始めは
おそるおそるであったが、その生き生きとした物語の展開に感銘を覚え全文を読み通した。しかし、そこには木馬のことは全く語ら
れておらず肩すかしを食ったように思ったのを覚えている。木馬内に隠れた兵士のリーダーであるオッデュセウスがトロイ戦争後に
ギリシャに帰還する物語である「オデュッセイア」は一部を読んだのみであるが木馬のことは書かれていないと思っていた。
今回、木馬について調べてみて見た。「オデュッセイア」には、主人公のオッデュセウスが物語の最後の方でトロイ戦争を懐古し
てその話の一部として簡単に木馬のことを話しているそうである。木馬の詳しい物語がホメロスの叙事詩に含まれていないという
のは意外であった。トロイの木馬を含むトロイ戦争については、古代からいろいろ伝承があったようで、代表的なものは、紀元後
4世紀のギリシャの叙事詩人Quintus Sonylnaeusが記しているものが詳しいということである。木馬の中に隠れた兵士の数は、伝承に
よって30〜50人と分かれ
るが、現在は40人とされ全員の名前が特定されているのには驚いた。
トルコ西部ではこのように地平線までのびるひまわり畑が見事である。バスが止まってくれないかと何度も思ったが、それはかなわず
走るバスの車窓からパチリ。
ここまで読んでくださった方に感謝します。 とうへい トップページ