博士論文要旨
博士論文要旨
論 文 の 内 容 の 要 旨
論文題目Molecular Structures and Functional Modifications
of Poly(vinyl alcohol)
(ポリビニルアルコールの分子構造と機能的変性)
氏 名 森 谷 東 平
ポリビニルアルコール(以下PVAL)は代表的な水溶性高分子で、その用途はビニロン繊維、フィルム、紙用サイズ剤、繊維用サイズ剤、接着剤、乳化・分散剤、安全ガラスの中間膜、医療用あるいは工業用分離膜、液晶表示装置用の偏光膜など広範囲にわたる。現在世界でおよそ80万トン生産されており、歴史的に我が国がこの工業を質、量ともにリードしてきた。工業的には酢酸ビニルの重合体を加アルコール分解して生産するため、ビニルアルコール単独重合体(a)とともに部分的な加アルコール分解物(ビニルアルコール-酢酸ビニル共重合体)(b)も習慣としてPVALと呼んでいる。また、エチレンとの共重合物(EVOH)(c)が酸素遮断性樹脂として食品包装材用途に発展している。
こうした工業的重要性を有するPVAL系重合体について、その分子構造を核磁気共鳴吸収スペクトル(NMR)を用いて検討した。次に、共重合の手法によりPVALの分子鎖内にイオン基や架橋基を導入し従来未知かつ工業的有用性を有する機能変性化合物を得た。
(A)NMRによる分子構造解析 立体規則構造(タクティシティー)の定量はビニル系高分子のキャラクタリゼーションのうちで最も基本的なものの一つであるが、PVALは、IRと1H-NMRにおけるスペクトルの吸収線の重なりが大きく定量が困難であった。PVALの水酸基のプロトンは、溶媒として使用する水のプロトンとの交換が早いためこれまで1H-NMRで測定対象とされることは無かった。溶媒としてジメチルスルホキシド(DMSO)を使用すると、水酸基のプロトンの交換が抑制されトライアッドのタクティシティーを反映したよく分離された吸収線が観察されることを見いだした。この発見によりPVALのタクティシティーを容易かつ精度良く測定することが可能になった。工業的に生産される代表的なPVALのダイアッド表示のタクティシティーはアイソタクティック:シンジオタクティックが41.0:59.0(%)である。
加アルコール分解を完全に進めずに分子鎖中に酢酸基を含むPVALは、酢酸ビニルの乳化重合用の乳化剤や塩化ビニルの懸濁重合用の分散剤に利用されている。乳化・分散剤としての性能は、残存酢酸基の量とともにその分布状態が大きく影響すると考えられてきたが分布状態を直接定量する方法はなかった。13C-NMRの研究により、酢酸ビニル単位とビニルアルコール単位からなる三種類の配列(トライアッド)の分率を精度良く決定できることを見いだし、酢酸基の分布状態の定量法を初めて確立した。分布状態は、ブロック度指数、η(完全にランダム分布のとき1、完全にブロックのとき0)、で表現できるが、加アルコール分解で合成したPVALのηは0.49~0.64で分布はブロック的である。アルコールを使用しないで、アルカリにより直接けん化した場合はη=0.40~0.53で更にブロック度が高くなる。こうして、分子構造から乳化・分散性能が設計可能になった。
酢酸ビニルは単独重合時に頭尾結合により成長し、モノマーが反転する頭頭結合は1~2%程度起こるだけである。エチレンとの共重合においては立体障害がないので酢酸ビニルの反転結合がもっと頻繁に起こることが示唆され、IRや1H-NMRによる16~45%という測定値も報告されていた。酢酸ビニルがそのように多量の反転結合を起こすとすれば、EVOHの結晶性や気体透過性にも影響が考えられるため、正確な定量が待たれていた。EVOHを13C-NMRで研究することにより、反転結合に起因する1,4-グリコールの明瞭なスペクトル線を見出した。定量は、反転結合を考慮した「三元系」の共重合の理論計算により解析した。酢酸ビニルがエチレンラジカル末端で反転結合する頻度は2~6%で、単独重合時より多いが依然として頭尾結合が主体であると結論された。
ビニル系高分子のモデル化合物の溶液中でのコンフォーメーションを解析する新手法を検討した。最も簡単なモデル化合物である2,4-二置換ペンタンは、メソとラセミの二種類の立体異性体を合わせて12種類のコンフォーマーがある。一方、1H-NMRで観察でき構造解析に使用できるスピン-スピン結合定数は4個で、求めるコンフォーマー数に比べて少なすぎる困難がある。従来は、主要なコンフォーマーに絞って解析せざるを得なかった。新手法では、すべてのコンフォーマーの配座エネルギーは5種類の局所相互作用エネルギーの和で表せるとの仮定に基づき未知数の数を5個まで減らし解析を可能にした。採用した概念は、行列の掛け算により高分子のコンフォーメーションを求める統計力学手法で採用されたものと同じである。従って、新手法で実験的に求めたパラメータはそのまま高分子のコンフォーメーションの計算に使用できる利点もある。PVALのモデル化合物である2,4-ペンタンジオールでは、スピン-スピン結合定数の溶媒効果と温度依存性が測定されているが、そのすべての条件について12個のコンフォーマーの存在確立を決定した。溶媒効果のデータ解析中に、transとgaucheの位置におけるスピン-スピン結合定数、JtとJg、を決定可能であるという事実を偶然に発見し、Jt = 11.51.0 and Jg = 2.11.0 Hzと決定した。この定数はNMRを使用してコンフォーメーション解析をする上で基本となるものであり、従来環状化合物の値が使用されてきたが、鎖状分子では今回初めて決定したものである。新手法は、ポリ塩化ビニルとポリスチレンのモデル化合物のコンフォーマー解析にも応用した。
(B)共重合による機能的変性 PVALの分子鎖中にカルボキシル基、スルホン基、カチオン基、架橋基を共重合方式により導入する方法を総合的に検討し、PVALの機能的変性を実施した。最適と結論された変性モノマー例は次の通りであり、いずれもビニルアルコールとの共重合体は文献未報告の新規化合物である。
・カルボキシル基:イタコン酸 (IA)
・スルホン基:2-アクリルアミド-2-メチル
プロパンスルホン酸ナトリウム (SAMPS)
・カチオン基:トリメチル-(3-アクリルアミド-3,3-
ジメチルプロピル)アンモニウムクロリド
(QAPA)
・架橋基:N-(n-ブトキシメチルアクリルアミド)
(BMAM)
カルボキシル基による変性においては、カルボキシル基が機能的に活性なカルボン酸塩-COONaとならず、不活性な分子内エステル(ラクトン)や高分子を不溶化する分子間エステル(架橋)が生じるなどの問題がある。この問題の発生は、共重合に使用するカルボン酸モノマーの構造に依存すること、IAを使用すると架橋が起こらずにカルボン酸塩構造を含む変性物を直接かつ安定に製造できることを見出した。IAを0.5~5モル%分子鎖中に導入する変性により、従来水溶性高分子として使用できなかった加水分解度が80~50モル%のPVALも水溶性となり新規材料として使用可能となった。この材料は造膜性が格段に良く、気体や溶剤に対するバリヤー性を必要とする感熱紙などの情報関連用紙のサイズ剤として最適である。IAに替えて無水マレイン酸を使用した場合は部分加水分解物に架橋が生じ水溶性を示さず使用できないが、これは加アルコール分解時に生成する六員環のδラクトンが架橋の原因になることを明らかにした。
スルホン基については、SAMPSが共重合速度、反応率などの点で実用的なモノマーであることを見出した。加水分解度の低いPVALを可溶化する効果は強い。通常の変性していないPVALが塩類の存在で塩析され、また、カルボキシル基で変性したPVALは多価金属と反応したり酸性下で水溶性が低下するが、スルホン基で変性したPVALは塩類が存在したりpHが変化しても溶解性を維持する能力が高く、多価金属とも反応しない。この性質は、薬剤を包装する水溶性フィルムなどの応用で効果的である。
カチオン基の導入は10種類のカチオン化剤について検討した。その結果、QAPA等カチオン基を含む(メタ)アクリルアミド誘導体との共重合が共重合速度や反応率等の点で最も合理的な変性法であることを見いだしカチオン変性したPVALを初めて工業化した。カチオン基の機能は、水に分散した紙パルプへの高度な吸着性、ポリイオンコンプレックスの生成、負に荷電した微粒子の捕捉性とこれを利用した情報記録材への応用、あるいは乳化剤として使用しカチオン性のエマルジョンを製造できることなどである。
PVAL水溶液を糊剤や乳化剤として使用した後で塗膜を耐水化したいというニーズは高いが、架橋剤を使用すると水溶液が増粘するなどの困難がある。BMAMとの共重合変性により架橋反応が調節可能な自己架橋型のPVALを開発した。BMAM基を1モル%含む変性PVALは使用前の粉末と水溶液の段階では架橋が起こらないが、塩化アンモニウムを水溶液に添加しフィルム等に成形後熱処理すると、煮沸水中での可溶分が0.8%、20℃の膨潤度が2.4倍という高度の耐水性を示した。BMAM基を0.025~5モル%含む各種変性PVALを合成して架橋したフィルムを得てその可溶分の分率と可溶成分のPVALの重合度を測定した。結果はゲル網目理論の計算値と良く一致し、理論に合う理想ゲルが生じている。すなわち、分子内架橋など耐水化にとって無駄な反応が少ない効果的な架橋体が生じている。このゲル分の膨潤度を測定して高分子-溶媒相互作用パラメータ、、を膨潤実験のみから決定した。架橋基の量が限りなく0に近い極限値の (PVALの分率 = 0) は0.47で、これは浸透圧、毛細管粘度から求められた文献値と良い一致を示した。他の測定値から求めたを補正標準としないで、膨潤実験のみからを精度良く求めた初めての実験である。
架橋基と各種イオン基の両方を含むPVALを合成し、純水中で約400倍、0.1N食塩水中で約60倍の膨潤度を示す高膨潤性フィルムを得た。この実験に関連して、高分子電解質ゲルの膨潤に関する理論式を整理し、膨潤度を求める理論計算を実施し計算値と比較した。理論式は実測結果をよく説明しており、作製した高膨潤性フィルムの設計に使用できる。
以上、NMRを用いて、PVALのタクティシティ、酢酸基の分布、酢酸ビニルの反転結合およびモデル化合物のコンホーメーション解析など高分子の基礎化学に重要でかつ工業的に有用な分子構造解析法を明らかにした。さらに、共重合による新規な機能変性PVALとして、カルボキシル基、スルホン基、カチオン基および自己架橋性基を有するPVALを新材料として開発した。