ピラミッド Pyramids
ピラミッド Pyramids
メキシコ・シティの北東、ドライブでおよそ一時間のところに、テオティワカン Teotihuacan の遺跡がある。そこのピラミッドは、大きさでもエジプトのピラミッドに匹敵する。 テオティワカンの都市は、紀元前2世紀頃に建造され紀元8世紀頃忽然と消えた。アステカ、マヤ、インカ文明に先立つ文明の遺跡見学は今回の旅行の最大の目的であった。
遺跡の南から歩き始める。まず、 比較的小規模なピラミッドである「ケツアールコアトル」のピラミッドを見る。
ここから北に、最も大きい「太陽のピラミッド」を右前方、そして遙か彼方に小高い山をバックにして「月のピラミッド」を望む(上写真)。すべて歩いて一時間の予定である。
このピラミッドを飾る龍の頭のような「ケツアールコアトル」(右写真)は、このテオティワカンに続くアステカ文明にも現れる神で歴史上重要である。
右の写真に階段横の斜面の様子を示したが、建造が強固である。
太陽のピラミッド頂上から月のピラミッドを眺めたのが左の写真。まわりに拡がる平野の様子もわかる。
アメリカ大陸の人類に思いを馳せよう。人類は、およそ700万年前にアフリカで誕生した。ユーラシア大陸に拡がりモンゴロイドに分類される人々が当時地続きだったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に渡ったのが紀元前2万年。南北アメリカを縦断してその南端に到達したのが紀元前1万年。ベーリング海峡はその後海で隔てられ、紀元10世紀ごろヨーロッパのバイキングが北米に来るまで他大陸との交流は無かったとされ、独自の歴史を歩むことになった。
テオティワカンが最も栄えた紀元4世紀ごろは、この盆地にはピラミッドを中心に20万人の人々が生活していたという。当時、世界で2万人を越える都市はほとんどなかったことを考えると、この文明の、人類史上における重要性がわかる。テオティワカンとともに古い文明がメキシコ・オアハカ近くのモンテアルバンである。その両都市が忽然と衰退した後マヤ・アステカ、そしてインカ文明が栄える。そして、16世紀にスペイン人により征服される。ユーラシア大陸と大きく異なった人類史について少しずつ理解は深まってはいるものの、気持ちの整理がつかないような感じを持っている。今後、中南米を旅行する中で考えていきたい。また、現在の合衆国の地域になぜ「文明」都市が出来なかったのかも探りたいものだ。
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