錦州への旅
錦州への旅
錦州への旅
錦州への旅 森谷 東平 Moritani Tohei
1.心の故郷、錦州
2.旧満州への旅
成田から北京へは中国国際航空で三時間である。空港で、漢字で書かれたパネルの内容がだいたい理解できるのがうれしい(注 - 私は中国語は全くできない)。その中に、「外国に学ぼう」、「もし、中国で悪いことに気がついたらぜひ左の番号に連絡してください」とある。改革開放政策の表現と思われる。
寝台列車に乗り八時間、早朝、地平線まで耕作地が広がる大地を眺めるうち、錦州駅に到着した。市のお役人から錦州市に関して丁寧な説明を受けた。人口は約三百万人で、中国の都市のランク(人口の多い順)は四十番目である。産業は、工業と農業で、農産物、果物、海産物等が豊富である。私の住む大阪にも野菜を出荷している。中国・東北地方は石油の埋蔵量が多く、今後有望な工業地域になると考えられる。錦州市は外国からの投資を歓迎している。外国との合弁企業は27あり、約$1500万。
3.ああ、半世紀!
(1)蘇った千年の古塔
百万人の日本人引揚者が故郷を目指した港である葫廬島(ころとう)をバスで訪問した。今は軍港で、そばの展望台からの見学である。この地区全体が最近まで開放されなかったので、参加した皆の感慨も大きかった。ここは現在は葫廬島市で、旧錦西市と南部の葫廬島地区が1995年に合併してできた新しい名前の市である。両地区の中間に広大なニュータウンが建設され、事務所、病院、学校をはじめ近代的なビルが建設されているのに驚かされた。
(3)パーティではカラオケも
錦州市主催で私たち錦州会を歓迎するパーティをしていただいた。中国側の主な出席者は、李副市長、張副秘書長、劉外商投資企業協会副会長などである。リズムと音量あふれる錦州市のすばらしい民俗芸能が続く。その後、「北国の春」のカラオケもあり、先方はとても友好的と感じた。隣に座った劉女史が半月ほど前に初めて三週間の日本訪問をしたという。その感想を伺うと、「東京は首都で大都市、大阪は商業都市で・・・」という。もっと交流が望まれる。
(4)センチメンタルジャーニー
工場から錦州に向かう道は、暴民に襲われた日本人が水源地から歩いて逃げた道である(写真右)。
姉の眠る地である南山にタクシーで行った。ここには数千人の日本人遭難者が埋葬されたといわれるが、小高い山に今それを示すものはなにもない。姉の埋められた場所を特定する手だてはない。小雨のなか山を登ると、林の中に土盛りがある。人を埋めた土饅頭である。この山全体が故郷を夢見て眠る人々の土地と思い、日本から持ってきたホトトギス、リンドウなどの野草を手向け冥福を祈った(写真左)。
旧満鉄の社宅であったれんが造りの建物はそのまま残っており、現在も中国人の住居として使われている。
今回の訪問で、わずかな資料で想像していたルーツの世界が具体的なイメージとなった。宿願を果たし、来てよかったと思う。
4.タイムスリップの街、錦州
最近復活したという人力車は、普通の自転車の後ろに乗り場を連結したスタイルである。宿から十分ほど乗って駅前で降りた。歩きはじめてすぐ運転手が追いかけてくる。車内に私が忘れた小型カメラを届けてくれたのである。力いっぱい握手して別れた。駅前にある大きなホテルにある回転式展望台兼レストランから三百万都市が眺められる。下の写真は錦州駅方面で、駅の向こう側は「特機隊舎」
があった場所である。高層アパートが林立する一方で、古いれんが造りの平屋の住居も多い。
街を歩く人、物売りの人の大部分は、質素な服の庶民である。その一方で、こぎれいな服を着てきれいに化粧をした人もいる。なかにはベンツに乗ってやたらに警笛を鳴らす金持ちとおぼしき人もいた。改革開放政策の中で、貧富の差が大きくなっているのだろうか。一方で、東京、大阪のようにホームレスは見かけない。駅前の歩道橋の上に物乞いがひとりいただけであった。市の政府の通訳の話では、月給は若い役人で良くて350元(約4500円)、市の高級役人でも600元(約8000円)とのことで、こぎれいなセーターがいかに高いかわかる。自動車は25万元程度もするので個人では買えない。電話はかなり普及しているようで、役人は(日本ではまだめずらしい)携帯電話を持っている人もいた。
錦州に着いた夜はたまたま全市を挙げてのお祭りで、町中で民族衣装を着て踊り回っていた。東北地方の伝統的な行事「ヤットー踊り」とのことで、阿波踊りのようにリズミカルな音曲に合わせて踊る。私たちが飛び入りすると、見物の中国人は拍手喝采をし、祭りの扇を貸してくれた。調子に乗って踊り続けたのはいうまでもない。
最後に錦州の食事であるが、張氏が自慢しただけあって安くて豊富かつ美味あふれるものであった。特に記憶にあるのはさそりの唐揚げで、ぱりぱりした珍味であった。
錦州を後にして昼間の列車で八時間揺られ北京に戻る。北京は建設ラッシュで、国際都市としての意気込みが感じられた。長城、故宮観光も面白い。ホテルのサービスも欧米・日本並みで良い。しかし、私にはあの錦州の雑踏がなつかしい。
5.おわりに
日中友好の公的目的からも、またルーツ訪問という私的目的からも、大変有意義な旅であった。長く続いた混乱の時代から歴史は移り、中国は今日本との経済交流を切望している。今後、錦州をはじめこの国へは機会があれば何回でも訪問したい。また、日中の交流になんらかの役に経ちたいと願っている。
リンク 日本人引揚者の「生命の駅」葫蘆島
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