1 旅はサバイバルゲーム?
To Delhi 旅日記 デリーへ
1 旅はサバイバルゲーム?
To Delhi 旅日記 デリーへ
11/14(木) JFK空港からEtihad航空に乗る。期待を超えるサービスに満足。
7:10発のバスでJFKへ。
JFKのEtihad航空は#4ターミナル。リュックと三脚(杖にもなる一脚/三脚兼用のもの)をチェックイン。EY100便は10:10発の予定なのに整備の遅れで、機内に入ったのが10:15、離陸が11:24であった。翼の上窓側の席で、となりはパキスタン・ラホールから来たシェパード君。アメリカ東海岸を半年間(!)観光しての帰りだという。しばし雑談。
インドの歴史を読む。国々の興亡、仏陀の足跡、仏教・ヒンズー文化の概要を学ぶが、特に興味を持ったのはインド古来のウパニシャッド哲学である。そのなかの「同値」という考え方では、個体レベル(我)と宇宙レベル(梵)を同じと考える「梵我一如」を理想としているという。
Etihad航空はアラブ首長国連邦の航空会社である。アラブの飛行機に乗るのはこれが初めて。配られたメニューは、チキン、マトン、野菜の3種類から選ぶことができ、私はマトンを。 アラブ系だからワインは置いてないのではないか?などと心配していたが、杞憂であった。 白ワインを楽しむ。シェパード君はコーラだけで、食事前に長いお祈りをしていた。
11/15(金)ー アブダビから喧噪の街デリーへ。インド旅行は無事スタート
Etihad航空機の中では2時間ほど寝て、NY時間午後5時(14日)=アブダビ時間午前2時(15日)=インド時間午前3時半、に起きる。席の電灯が故障していて本が読めず、この旅日記を書き始めた。機外にロンドン市街の灯を見る。そしてフランス上空からドイツへ。アブダビ時間で、午前3時半にミュンヘン、6時にキプロス、6時20分にレバノンを通過したが外はまだ真っ暗。7時に朝食。今回も3種類あり、私はチキンソーセージを選び、食後にアラブコーヒーのティラミスを楽しんだ。この頃からようやく外が明るくなる。眼下はサウジアラビアの広大な砂漠が広がっている。褐色の大地と紺碧の海の海岸線を見るうち、8時37分、アラブ首長国連邦アブダビ国際空港に着地した。
入国審査は問題なし。荷物を受け取り、税関を過ぎたすぐ右手の銀行で$200のT/Cをインドの通貨7500Rs(ルピー)に両替。
[後日 注:このとき貰った札を数えたらRs100足りなかった。請求したらすぐくれた。同じようなことが後日デリー空港で再度あった。どうも慣れない旅行者相手にインチキをするらしい。]
Rs100はおよそ$3だ、と頭にいれる。空港ビルの電話屋で まず、予約したホテルに電話し部屋を確認した。 電話代は現金払いでRs50。[後日注:これはボラれた。実際は Rs1程度!]
プリペイドのタクシーカウンターにホテルの住所を見せ、250Rsのタクシー券を買う。それを見せると適当な車を選んでくれる。ほこりっぽい路を荒い運転のドライブが始まった。およそ40分走ったあと人混みのマーケットの入り口で止まる。この先は路が混んでいて入れないから歩いてくれと・・・路を聞きながらようやく”Paul’s Court Hotel New Delhi” を探し当てた。(後日 注:空港の銀行といい電話やといいタクシーの運転手といい、ひどい1日目だったが、ようやくインドに着いたとの思いでそれほど感じなかった。)
近くのレストランに行き、軽食を摂る。インド人の給仕のおじさんに相談し、Onion Utthapanというお好み焼きのようなものとSpecial Keehlという熱くて甘いデザートをいただく(合計Rs84)。これから、食事はできるだけ火の通ったものを選ばなければいけない。初日は無難な選択だったようだ。ホテルの部屋は、ベッドが2個、テレビあり、バスタブなしのシャワー。トイレは水洗でトイレットペーパーもありほっとする。そばに、「インド式事後処理」用の水くみがおいてある。
さあ、インド旅行は開始された。習慣の違う異国での観光というのは楽ではない。食事、トイレ、シャワー、就寝、お金の管理、交通手段、インターネット、犯罪や詐欺、時差ぼけ 、健康管理・・・・・これらをこなしながらやっていかねばならない。でも、Take it easy! - 気楽にいこう。無理をせず、いろいろな問題をを処理しながら、新しい驚き、新しい出会いを楽しんでいくのが倹約旅行だから。高度なサバイバルゲームともいえる。人生がそうであるように。
11月16日(土)ー 曲芸運転のようなオートリクシャーにひやひや。あやうく悪徳業者たちのカモに。デリーの「秋葉原」で持参の MacBookをグレードアップ。
今日は旅の失敗の笑い話のような日だった。
深夜、2時半に目が覚めて、5時半にホテルの外に。暗いマーケットの出店はすっかり片付けられて、野良犬が偉そうに縄張りを守っていて気持ちが悪い(インドは狂犬病が多いことを思い出す)。ホテルに戻り、6時半朝食。
市内交通手段のレートを聞く。これらを使わずにデリーでの移動はできないから。
・タクシー:Rs7/km、
今日は、次の予定をこなすことにする。
1)市内の観光を兼ねて街の様子を把握
2)次の目的地、カジュラホーへの鉄道切符を買う
3)持参のラップトップ(MacBook )をグレードアップするためにメモリーを購入(昨日インターネットカフェで聞いたネールプレイスに行く)
オートリクシャーとサイクルリクシャー
7時過ぎにホテルを出てオートリクシャーをつかまえ、Rs50でラールキーラ城(Lar Qila)に行くよう交渉し乗り込む。街の雑踏をすり抜けるような曲芸運転にまず驚かされる。およそ20分でラールキーラ城へ。正面に土嚢や鉄索が置かれ兵士が銃を据えて配置されている。なぜだかわからないが、この国が準戦時体制にあると理解する。こういう国(場所によってはアメリカもそうだけれど)では、写真を撮るとき配慮が必要だと思う。案の定、三脚を立てて写真を撮ろうとすると兵士に注意された。写真を撮っても良いが、三脚撮影はだめだという。
この城は、17世紀にムガール帝国の城として建てられたもので、「赤い城」として知られる(写真)。この写真でははっきりしないが、城の中の建物が霧(スモッグであろう)で霞んでいる。空気が汚い。
皇帝が庶民の願いを聞いたという「一般謁見の間」は興味深い。当時は宝石が埋め込まれていたという白い大理石の玉座に今その面影はないが。早朝のせいか人が少なかったが、インド人の観光客が徐々に増えてきた。カメラを持つ私が珍しいのか、インド人の若者達が私のところへ来て写真を撮ってくれと言う。快諾して写真を撮り住所も聞いたりした。
城前でサイクルリクシャーに乗り、ニューデリー駅へ。乗り物に乗るたびに値段交渉とともにインチキにひっかからないように配慮するのが煩わしいがこれもじきになれるだろう(観光案内をしたいというおじさんが来たり、すりに気をつけろと言いに来る人相の悪いおじさんがきたり)。物乞い(赤児をつれた女性や小さな子供達)がまとわりついてくるのも大変。できるだけ小銭を用意しておこうと思う。
ニューデリー駅から今日の「冒険」が始まった。
1)ニューデリー駅の事務所に行き、ガイドブックにある「外国人旅行者専用カウンター」はどこかと尋ねる。きちんとした人が出てきて、「そのガイドブックの記述は現在は正しくない。目の前に見るように駅舎は建て替え工事中なので、街中のコンノートプレイスにあるDTDC事務所に行って欲しい」と言う。そして、親切にオートリクシャーの運転手に行き先を告げ、私に「Rs100だけ払うように、それ以上は払わないように」との助言までしてくれた。
2)オートリクシャーの運転手は、落ち着いたお父さん風の人。およそ10分で事務所前に着く。事務所の看板には”Government”とか”DTTC”の文字も見える。中に入る。個室に入れられ相談に乗ってくれる。インドとデリーの地図をもらいたいというが無いという。私の希望を聞いたあと、「インドで列車の旅行をするのは大変。ミニバス(普通の車を運転手付きで借り切る)を利用した方が良いが・・・とのアドバイス。そのうち、日本語を流暢に話すインド人の青年Ashokが現れる。彼は日本人と結婚していて奥さんと娘は大阪に住んでいると娘さんの写真を見せてくれた。彼らが作るスケジュールを見て、ミニバスより列車旅行が良いと希望を言う。そうしているうるうちに、予算全体が1000ドル位だという。ホテル、列車の切符、フライトなどの内訳を書くように頼む。どうも、列車の切符の費用が自分の見積もりよりかなり高い。ホテルもどの程度のホテルかはっきりしない。その点を聞いているうちにだんだんおかしいと思い始めた。出直してくるというとちょっと雰囲気が険悪に。これは変だ。「ネールプレイスに先に行かなければ」と言って外に出る。
3)外に出たところに、路を歩いていたインド人の青年が「ここは政府の事務所じゃないよ。政府の観光局はこっちだ。自分はそのそばのマーケットに行く途中だから一緒に行こう。」という。ついていくとなるほどオープンな観光局のような感じ。
観光局でさっきのおかしな話をすると、「そういう悪徳業者が多いんだ」と言って、デリーの地図や私の希望する目的地のパンフレットを手際よく出してくれた。では、帰ろうか、と席を立ちかけると、「列車の切符を一般の窓口で並んで取るのは大変だから、ここで予約していった方が良いと概算の計画と費用を算出してくれた。それを見てびっくり。さっきのニセ事務所の見積もりより高いではないか!!そうとは顔には出さず、今日はネールプレースに行く用事があるからまた後で電話で連絡する、と言って事務所を後にする。「用事は、政府の車を使っても良いよ」という破格の申し出を後にして・・・・・(写真は、「政府」観光局オフィスと「親切」な青年。)
4)そこを出て近くにいたオートリクシャーに乗り、「ネールプレースに」と言い走り始める。10分ほど走ってから、空色のターバンをきれいに巻いた運転手が、「そうだ、今日は土曜日だからネールプレースはもう閉まっている。月曜でないと開かない。政府の観光局なら自分が知っているから、そこに行くか?」と。そう、閉まっているならしょうがない、と彼の言う観光局に。そこには、制服を着たガードマンも立っている。担当の男性と話し始める。ちょっと話をしただけで、無理矢理契約をするよう迫ってきて恐ろしい形相に。そうそうに事務所を出る。どう考えてもおかしい。もうだれも信用できなくなる。どうなっているんだ、このデリーという街は!!!!!
5)そばのオートリクシャーに ネールプレースまで Rs200の条件で乗ると、その運転手が「さっき出てきた事務所はマフィアの連中の事務所だぞ。うっかりすると殺されるぞ。」と物騒なことを言う。走っているうちに、ネールプレースは遠いからRs500にしてくれないか、と言い出す。なんだよおまえもか! 車を変えるよ、と言うとRs200で良い、としぶしぶ認める。バックミラーに写る顔は怖い顔になっている。なんというところなんだまったく!!!そのうち、「明日デリー観光をこの車でしないか?」などと切りだしてきた。「おととい来い!コノヤロー」とは思っただけで言わず適当に受け流す。
6)無事ネールプレースに着き、アップル・ラップトップのパーツを扱っているところを訪ねて行く。良さそうなのが見つかり目の前で自分で装塡して起動し正常であることを確認したら、売り手の青年は目をパチクリ。「おまえはプロなのか?」と。値段もまあまあで、先方も満足、私も性能がぐんとアップして満足して、またオートリクシャーでホテルへ戻った。
さて、今日のおかしなことはどうして起こったのか?今から思えば、一番最初の駅員風の親切な人がアヤシイ。あとは皆グルだったり同様の悪徳業者だったに違いない!アァ、あやうくカモにされるところだった。旅慣れした私でさえこんな有様だから、被害が頻発するのも当然と思う。
11月17日(日)ー 政府の外国人用チケットオフィスで切符を購入。深夜22:30の寝台車に乗りジャンシー(Jhansi)経由でカジュラーホー(Khajuraho)へ。スリランカ人と話。
朝5時起床。8時にまっすぐニューデリー駅へ。またまた、いろいろな「親切そうな」人が次から次から寄ってくる。すべて無視して前進!!ガイドブックどおり、駅ビルの2階に「外国人用チケットオフィス」がある。しかも、そこに行く階段に掲示があり、「最近、当オフィスが閉鎖されたと言って私設観光業者を紹介する人物がいるので充分注意すること。当オフィスはここの2階にあります。」とある。なんだ、まさにその手に引っかかったのか!
予定が決まっている路線のチケットを購入する。昨日のニセ政府観光オフィスで提示されたチケットの価格は正規の5倍ほどであることが判明!!くわばらくわばら。
昼間は駅前から伸びているバザール通りの雑踏へ。下の写真のようにニューデリーの駅前はまさに「雑踏」。この中にはウブな外国人旅行者をねらう「親切な人々」がうようよ居る。次から次に話しかけてくる人を無視できるようになったのは「進歩」か?駅前に古い3階建てのごみごみした家並みがあるがそのあたりからバザール通りが始まっている。この雑踏に慣れることからインド旅行は始まる。
21:30頃、目的の列車が発車するプラットフォームが掲示されたので、その11番線ホームへ。私の列車の前に発車する列車に乗客が乗っている。一般車両はすし詰め状態なのに恐怖を感じる。自分のクラスは3Aで、あんなことは無いのだろうが・・・
目的の列車が入線。コンパートメントのような作りで3段ベッドが2列。反対の窓側に2段ベッドが1列。比較的ゆったりしているので一安心。このブロックの8人のうち5人はインド人で2人はスリランカ人のカップルであった。このスリランカ人はインドの仏跡めぐりをした帰りで、私が日本人とわかったらしくいろいろ話しかけてくる。感じがデリーのインド人とはだいぶ違いずっとソフトに感じた。持っていたスリランカの観光ポスターを広げて、いかにスリランカが美しく楽しいところか解説してくれた。いつかきっとスリランカに行くよと言う。夜11時過ぎに寝台を作り就寝。