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(旅行記)とんぺいくさまくら 25      Traveling to several places related to a super-long novel, "The Daibosatsu Pass"

 

小説「大菩薩峠」の旅  -   2015年夏

 ー 大菩薩峠、羽村、青梅、白骨温泉、白川郷、五箇山、大牧温泉          森谷 東平  Tohei Moritani

     
     

・超長編「大菩薩峠」

いつの頃からか、就寝前の半時間ほど、床の中で本を読むのが習慣になった。毎日のことであり私も歳をとったからずいぶんたくさんの本を読んできた。その中で、長編小説といえるものは、学生時代に読んだ「千一夜物語」(バートン版、岩波文庫13冊)が最初だったと思う。美しい乙女のシャーラザットが王様に一夜の伽を命ぜられ翌朝に殺される運命であったが、聡明な彼女は毎晩古今東西の物語を王様に語り、ちょうど面白いところで止めることを千一夜繰り返して殺されるのを免れ3年後に幸福を手にいれる。彼女が語る様々な物語の中で、「アリ・ババと40人の盗賊」や「船乗りシンドバットの冒険」などの童話が有名だが、大部分は成人向けの話である(そうでなければ王様も飽きて彼女を生かしておかなかったであろう)。奔放なエロスの世界のお話が多かったような気がする。また、印象的だったのは、侵略軍にアラビア軍が立ち向かう戦闘シーンで、おそらく十字軍戦争をアラビア側から記述したものと想像した。

日本の小説で、「千一夜物語」に匹敵するスケールの大きいものは、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」と中里介山の「大菩薩峠」ではないだろうか。前者は、岩波文庫10冊で七五調で書かれた文章と迫力ある挿絵に魅了された。

後者の「大菩薩峠」が今回の旅の動機となった小説で、富士見書房の文庫版20冊という、長さで世界一を競う超長編小説である。この全編を4回読み通した私の愛読書である。
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・「大菩薩峠」の魅力

物語は、幕末、甲州街道の裏街道の難所である大菩薩峠から始まる。そこに巡礼とその孫娘(お松)が登って来る。お松が水を汲みに去った後に、剣豪、机龍之助が現れ無慈悲にも巡礼を理由もなく切り捨てる。戻って嘆くお松を救ったのが俊足の怪盗、裏宿の七兵衛。その後、龍之助は、御岳神社の奉納試合で試合相手を叩き殺し、その許婚のお浜をさらって江戸に出奔する。殺された試合相手の弟、宇津木兵馬は仇を打つべく龍之助を追う。(YouTube)

主人公の龍之助は、「音無しの構え」という得意技を持つ剣豪であるが、思い上がりが異常な一種の性格破綻者で悪の象徴である。その後も各地で夜な夜な無辜の人々に辻斬りを繰り返すことになる。上方に行き当時随一の剣客、島田虎之介と立ち会い「剣は心、心正しくなければ...」と諭される(YouTube)。その後戦乱に巻き込まれた龍之助は爆弾により失明し虚無の中をさまよう旅を続けることになる。

文庫本2冊目の「間(あい)の山の巻」から、次第に龍之助の影が薄くなり、変わって印象の強い多彩なキャラクターが次々現れて剣豪物語とは全く違う物語が展開されていく。

伊勢間の山で「間の山節」を歌う、お君、(YouTube
お君の愛犬で熊のように黒く大きく賢い、ムク、
お君の幼馴染で槍の名人、宇治山田の米友、
貧乏人の味方でいつも酔っ払っている江戸の町医者、道庵先生、
甲府勤番で開明的理想家、駒井能登守、
飲めば酒乱の悪徳旗本、神尾主膳
甲州一の大尽の娘で顔にやけど跡があり常にお高祖頭巾姿の暴女王、お銀様、
盲目で博識、話し出すと止まらない超饒舌の少年僧、弁信、
鳥や動物と心を通わせることができ、即興の歌詞で歌う少年、芳浜の茂太郎、
軽業一座の女親方、江戸っ子、お角、
お寺の娘で龍之助の世話をする、お雪ちゃん、
武士で貧乏絵師の、田山白雲、
・・・・・などなど、50人を超えるキャラクターを主人公とする物語が交差しながら延々と続いていく。

文庫本の前書きと書き出しを右に示した。まえがきは、この世の人間の姿をありのまま、善悪好憎を問わず、活写することがこの小説の目的である、ということであろうか。著者の中里介山は、執筆当初は机龍之助の剣豪小説を意図していずれ兵馬に成敗させる筋書きを想定していたが、その後多くの群像が織りなす壮大な物語にテーマを変えたと思われる。彼はこの小説を「大乗小説」と呼んでいる。

ここに「大菩薩峠」の魅力がある。  

新聞への連載は1913年〜41年の28年間で、41巻にのぼる未完の長編である。全文が青空文庫にある。
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「一刀彫」     新聞小説の挿絵      中里介山
(介山荘)   (羽村市郷土博物館)   (羽村市郷土博物館)


1.羽村 ー 介山の居住地

羽村は玉川上水の取水口の地。堰のそばにこの上水の難工事を指揮した玉川兄弟の像を見る。文献によると、中里介山は玉川兄弟の子孫ということだ。

介山の居住地跡は公園となっていて、そばに「百姓彌之助由縁之地」の碑。「彌之助」は介山の本名。晩年、百姓生活を理想としていてその描写が小説の後編にある。 介山の墓に参り冥福を祈る。

羽村市郷土博物館に寄る。ここには玉川上水に関係した詳しい資料や中里介山のコーナーがあり興味深く見学した。

 

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百姓彌之助の話(青空文庫)       英訳本             間の山節(YouTube)
 (羽村郷土博物館)
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玉川兄弟の像           介山の居住地跡         介山の墓

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「百姓彌之助由縁之地」碑              赤門 (元介山居宅にあった、
                        現在は羽村市郷土博物館敷地内)

 

2.青梅 ー 裏宿の七兵衛

小説「大菩薩峠」の全編にわたって出没する俊足の怪盗が裏宿の七兵衛。そのモデルとなった七兵衛は実在したということで、JR青梅駅から歩いて彼にちなむいくつかの場所に行った。駅近くの市役所の隣に「七兵衛地蔵尊」、臨済宗宗建寺に彼の墓がある。「七兵衛通り」と名のついた道の先にある「七兵衛公園」は彼の住居跡という。七兵衛地蔵尊の説明板が詳しい(写真下)。一夜に50里を往復したとある。1里を4kmとすると一夜に200kmを往復、つまり400kmを駆けることができたというから、一晩を10時間としても休まずに時速40キロ、超人的だ。江戸日本橋から京都三条大橋までの東海道の距離の492kmと比較できる。小説にも、昨日江戸にいた七兵衛が今日は京・大坂に現れるというような記述がある。七兵衛にちなんで、毎年「青梅マラソン」が開催され、たくさんのランナーが参加するということだ。

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裏宿七兵衛(七兵衛地蔵尊しおりより)       七兵衛地蔵尊

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七兵衛公園の説明板

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七兵衛のお墓

3.大菩薩峠 ー ハイキング (ガイドマップ

小説の最初の舞台となった大菩薩峠には6月中旬に訪れた。梅雨空ながらも幸い雨は降らずに快適にハイキングを楽しんだ。峠には旅館兼土産物屋、「介山荘」、がある。尾根を登り「中里介山・大菩薩峠記念塔」を見る。

20尾根から見た大菩薩峠

この峠は小説の最初に出てくるだけでその後舞台となることはない。介山は、タイトルの「大菩薩」に大乗の意味をこめ、「峠」には「人生の岐路」のようなイメージを委ねたのだろうか。彼は、峠のふもとに逗留し富士山を望みながら執筆したという。

帰り道に、裂石バス停そばの「介山記念館」に行くが、事前に連絡しないと見学できないとのことで、建物の外観の写真を撮って帰ってきた。
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21大菩薩峠

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峠近くにある「中里介山・大菩薩峠記念塔」

24 介山記念館(裂石)

4.白骨温泉 ー お雪ちゃんの湯 (観光案内

失明した机龍之助が、江戸で不義密通の容疑でリンチに遭っている女を助け、その縁で上野原の月見寺に逗留。女の妹が気持ちの優しいお雪ちゃんで龍之助を「先生」と呼んで世話をする。お雪ちゃんは、龍之助の目の療養に心を配り、下男の久助を伴い3人で信州山奥の名湯白骨(しらほね)温泉へ旅をする。そこで3人は冬ごもり。ここでは、龍之助は人前に現れることがなく時に尺八で古典本曲「鈴慕」(れいぼ)を吹く(YouTube)。お雪ちゃんは物知りの神楽師たちとの炉端の話に加わるなど彼女が主人公の物語となる。その後白骨には、龍之助を仇と狙う宇津木兵馬やお雪ちゃんの友達の弁信が立ち寄ったりする。白骨温泉の冬ごもりのシーンは、文庫本20冊のうち、第7冊の「無明の巻」から第12冊の「畜生谷の巻」まで実に6冊にわたっている(ただし、他の土地の別のキャラクターの物語も同時進行で含まれる)。
31「お雪ちゃんの図」(湯本斎藤旅館)

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乗鞍高原ルートから見た白骨温泉

今回、6月末に訪れた白骨温泉は、まさに深山の名湯であった。上の写真は温泉街を遠望したもので、一番奥の建物が介山が泊まった「湯本斎藤旅館」。今にも周囲の山林に埋もれて消え入りそうなところだ。現在は、道路も整備され松本からドライブで1時間で着く。温泉街の入口に「小説大菩薩峠記念碑」を見、湯本斎藤旅館の玄関に介山が好んだ言葉「上求菩提下化衆生」(上にさとり(菩提)を求め、下に衆生を教化する、の意か)を刻んだ木彫りの置物を見る(右写真)。狭い山肌に沿って建築しているためか、迷路のような廊下が続き迷子になりそうな旅館であった。

現地で買い求めた小冊子「湯の里 白骨(白船)」(横山篤美著、信州の旅社)によると、介山はここを訪れる前から、当時ほとんど知られていなかったこの温泉を舞台にした話を小説「大菩薩峠」に描き始め、執筆の参考のために訪れたのは大正14年(1925年)8月2日の1泊だけであるというのは意外であった。旅館には当時の写真(右)があったが、大きな建物であったことがわかる。これなら龍之助が他の滞在客に顔を見せずに居ることができたろうと想う。小冊子によると、介山が宿泊したとき一晩中蚤(のみ)の襲撃を受けたそうである。(今回はそんなことはなかった。)彼は、その17年後の、昭和17年(1942年)10月にこの地を再訪して一週間滞在し、その2年後、昭和19年(1944年)に59歳で病気のために急逝した。続編の構想はあったらしいが、小説は41巻で未完のままとなった。

この温泉は白くきれいに濁っているのが特徴で、白い湯船を意味する「白船」がもともとの名称であった。それがなまって「しらふね - しらほね - 白骨」と呼ばれることもあった。介山はそのいきさつを承知で敢えて「白骨」を採用した。小説中にも、名前の由来とともに「しらほね」であって「ハッコツ」ではない、と登場人物に説明させている。介山の小説が有名になり、またその奇怪な名前のおかげで、「白骨温泉」は全国に知られるようになった。
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白骨温泉に行く前に立ち寄った上高地。 梅雨がうそのように晴れ上がった。

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記念碑              介山の座右の銘「上求菩提下化衆生」
              (湯本斎藤旅館)

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大正13年の湯本斎藤旅館  源泉かけ流しの露天風呂は35℃でいや爽快々々!

  42 飛騨高山

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五箇山(相倉) 右は、こきりこ節を刻んだ置物

35五箇山(菅沼)

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小牧ダムから遊覧船に乗り30分のところにある大牧温泉観光旅館
船でしか行くことができないユニークな旅館で、サスペンスTV映画のロケに良く使われるそうだ

5.飛騨高山と白川郷、五箇山、大牧温泉 ー お雪ちゃんが夢に見た土地 (合掌街道

白川郷と五箇山は、今は日本を代表する世界遺産の観光地だ。小説「大菩薩峠」の中で、白川郷と五箇山が直接舞台になっているわけではない。お雪ちゃん一行が白骨温泉に長逗留しているうちに、同宿の自称神楽師たちが身分を隠した得体の知れない武士であることがわかってきたり、高山から来た「イヤなおばさん」がいたり、自称紅売りの女が一人で現れたりする。お雪ちゃんはその人たちを不気味に感じて次第に不安がつのり、ここを抜け出したいと思い出す。そうしたとき、白山のふもとの白川郷は上方から落ちてきた平家の公達が作った美しい村である、という話を聞いて、その理想郷に龍之助と二人で駆け落ちし身を隠して暮らしたいと想い始める(年魚市=あいち=の巻)。ただ、その理想郷の近くには「畜生谷」と言う忌まわしい名前で呼ばれる、やはり落武者の集落があるという。白川郷に行くつもりが畜生谷に落ち込んだらどうしようと不安にもなる。結局、3人は白骨を脱出し、白川郷を目指して平湯峠を越え飛騨高山へ(畜生谷の巻)。高山では事件に巻き込まれ、白川郷にも畜生谷にも行き着くことはない。

今回、白骨温泉から飛騨高山への道は、長い長い安房(あぼう)トンネルを抜けて行く。高山は、天領の街並みがきれいに保存されているすばらしいところだ。ここを散策後、高速道路を北上。またまたトンネルが続く。今回ドライブした道路に新しいトンネルが次々現れ、建設中のものも多いのに驚いた。日本中の山道は、近年どこもこのように山を掘りトンネルだらけになったのだろうか。便利になったが暗闇ばかりで景色が見えない。

「世界遺産」白川郷は、外国人を含むたくさんの観光客であふれていた。カメラの電池が上がってしまい残念ながら写真はない。観光案内所で充電を頼んだら快く引き受けてくれたのには感謝。「世界遺産」五箇山は、観光客も少なく、合掌作りの里を静かに散策することができた。

さらにドライブで庄川の渓谷に沿ったS字カーブの狭い道を北上することおよそ1時間、小牧ダムそばの船発着場に着く。ここに車を残して、遊覧船に乗り静かな湖面を南へ30分、大牧温泉へ。湖面から立ち上がる急な山肌に貼りつくように温泉旅館が建っている。ここの源泉は53℃と熱くて透明。露天風呂では、源泉を高所から岩壁沿いに伝わり下ろしている。温度調節の工夫か。湖と周囲の緑をのんびり楽しんだ。説明によると、小牧ダムができる前には切り立った千尋の谷底に小さな村々があったという。今は水底にあるその土地が(全く根拠はないが)お雪ちゃんが落ち込むことを心配した「畜生谷」ではなかったかと空想してしまったほど山深く谷深く、外界から隔絶されたところであった。
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・おわりに

小説「大菩薩峠」は旅の物語とも言える。上に述べたたくさんの多彩なキャラクターがそれぞれ奥秩父、沢井・青梅、江戸、鈴鹿、大和三輪、京、紀州龍神温泉、十津川郷、伊勢間の山、東海道、甲州奈良田、江戸長者町、甲州有野村、甲府、安房小湊、安房の鋸山、安房洲崎、巣鴨庚申塚、上野原、碓氷峠、諏訪、善光寺、松本、白骨温泉、木曽福島、名古屋、飛騨高山、勿来、美濃金山、仙台、石巻、恐山、関ヶ原、伊吹山、長浜、琵琶湖、大阪...とめまぐるしく旅をしていく。(お銀様と能登守以外はみなお金がない庶民であるが、旅費はどうしたのだろうか、と詮索するのは野暮か)全体を貫く筋はないので、気が向いたときにどの箇所からでも読むことができる。介山の博識とキャラクター創造力には驚かされる。これからも日本各地を旅行する機会があれば「大菩薩峠」の物語を思い出すであろう。

新聞小説として掲載された「大菩薩峠」には豊富な挿絵があったが、私の読んだ文庫版には挿絵は全くない。挿絵がないほうが想像で世界が広がって良いとも言える。でも、挿絵の入った「大菩薩峠」も読んでみたい。最近、「都新聞版・大菩薩峠」9巻が発売されたのを本屋で立ち読みした。小説書き出しの文章などが完成版と異なり、往年の挿絵がすべて含まれていて興味深い。全41巻のうち9巻だけなのが残念だが(写真は池袋の書店Libloにて)。

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最近は、中里介山や「大菩薩峠」は忘れられつつあるようだが、日本の国民文学として読み継がれることを願う。

ここまで拙文を読んでいただいた方、写真だけを流し見していただいた方、に感謝します。ご意見、ご感想などをお寄せください。とうへい (2015. 7. 7)

 

読者からいただいたメッセージ

(K.A.様より)

旅行記を楽しく拝読させていただきました。私も3年前に青空文庫で大菩薩峠を読み、どうしても白骨温泉を訪ねてみたいと思って一昨年の6月に松本からバスで行きました。斉藤旅館は高価で泊まれなかったので鳳雲閣というところに宿泊し、中里介山が訪れた頃の雰囲気をしのんだものでした。松本は、若い頃北アルプス登山でずいぶん利用した駅で、当時は新宿発の夜行列車の床に新聞紙を敷いて寝ながら、というのも多かったです。いつも上高地側に向かっていましたので、途中の看板に見る「白骨温泉」の名前が印象的で、ようやく訪ねる機会がありました。あるときは、上高地に抜ける釜トンネルの前後で地すべり等のトラブルがあり、バスが止まってしまったため上高地から釜トンネルを歩いて抜けたこともありました。一昨年は新穂高温泉に行きましたが、そこからロープウェイで笠が岳などをハイヒール姿の観光客とともに展望したのですが、昔はあの山を歩いて登ったわけで、今では自信がありません。
大菩薩峠で印象的な名前の一つに「畜生谷」と言うのがありますが、落人部落として外界から孤立して生きてゆく中で、結局近親相姦状態になるためにそうした名前を小説上でつけたのでしょう。実際にもそういう集落があったのではないかと想像しています。それと房総を舞台とする場面も多く、鋸山とか、私の土地勘がある場所ですので、小説上でのイメージも鮮やかに描くことができて楽しかったです。たまたま同時期に吉川英治の「宮本武蔵」を読み、岡山に興味があって二年前に岡山県美作市の智頭線に乗り、「宮本武蔵」という駅を通ったりしました。また宮本武蔵の一場面として、私の家がある市川市行徳付近が出てくるのですが、地形を知っているだけにこれもイメージが豊かに作り上げられて楽しかったです。
辻斬りが一般的に行われていた時代は確かにあったはずで、普通は小説の主人公といえば勧善懲悪のヒーローなのですが、介山が小説の最初の場面で主人公に罪のない人間を無慈悲に辻斬りさせる、というのは文学史上かなりユニークだったのでしょうか。
私としては、弁信の饒舌には被虐的な快感を覚えるほどでした。
一番興味があったのは、介山の時代は、幕末からそれほど遠い時代ではなく、小説もその時代のことですから、小説の中で人々が実際に話している言葉などが、江戸時代の人間が使っている言葉そのものではないかと思われ、その意味で江戸とか幕末の時代を感じることができたと思いました。
また楽しい旅行記を期待しています。
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(今井卓実 様より)

素晴らしい旅行記を堪能させていただきました。「大菩薩峠」への森谷さんの愛着度がよく分かります。
「大菩薩峠」は間違いなく国民文学としてこれからも後世に受け継がれてゆくと思います。残念ながら国民文学といわれるもので私が読んだものは、最近では吉川英治の作品です。宮本武蔵、私本太平記、新平家物語が印象に残っていますが、国民文学と言う意味では、少し時代を遡って平家物語、源氏物語がその上を行くという感じがします。それぞれの作品には時代思潮や作家と時代とのかかわりが明確に出てくるように思えます。
一度酒でも酌み交わしながら、本の話をしてみたいと思います。
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(鈴木誠二 様より)

すばらしい、旅の記録、というより、「東平語録」みたいなもので、感動しました。
私も旅の記録に、ただ単なる紀行文のようなものを書き、他人様に読んでもらうことなど考えていませんが、東平さんのものは、シナリオがシッカリしてして、これは立派に文学の世界かなと思います。

 懐かしい私の「大菩薩峠」は、大学院のときに、一年送れで島村研に来た、今は九州で家業を継いで折られる山田君と、それに、三菱化学に行かれた和田さんと三人で登った思い出です。
 登山は夜行日帰りの計画でした。が、前日、台風が接近し、普通なら当然中止という状況でしたが、後で、和田さんと私は、当時山行きは自分の宿命みたいなものを感じていましたから、お互いに、外の二人には辞退してもらって、自分ひとりで行く事を腹に決めていたことが分かりました。三人は、中止としたのですが、ところが、なんと新宿に行くと、なんと和田さんが居るではありませんか。和田さんも同じことを考えていたため、「じゃー、仕様がない。山田君だけを、置いていこうか。」と、考えていたようです。すると、そこに山田君もひょっこり現れ、なんのことはない、最初の計画どうり、三人での大菩薩峠となったのです。
 ところが、山は、台風一過。これほどすばらしい条件はないというくらい、日本晴。富士山の姿もこの時以外には見られないというような、我々のこの絆を祝福してくれるかのごとく、悠然たる姿で迎えてくれたのです。
 やっぱり、自然はわれわれの心意気を感じてくれたんだなぁーなどと、当時の野暮で、実験室にこもりっきりのじめじめした気持ちを一気に吹き飛ばしてくれたのです。

 大菩薩峠の小説は、私は読んではいませんが、机龍之介の話は、例の「円月殺法」だったのでしょうか。下段に構え、隙だらけの構えから斜め上に切り上げる、居あい抜きを凌ぐ鋭い太刀。こんなすばらしい切れものがあれば、是非、その極意にあやかりたいものです。解決策の見出せない価値観の違いからくる問題だらけの現実、融通の利かないサウジの人たちの価値観を滅多切りにできるかな? いまの悪戦苦闘の仕事のなかで、ついついそんなことを感じました。

 最後に、こんな人生の送り方をしている森谷さんの行き方に感動します。なかなか、これを皆様に読んでもらう機会はないと思いますが、どなたかがおっしゃっていたように、ぜひ、一度ゆっくりと話を聞かせて欲しいですね。

今では、帰国の時期がなかなか折り合わず、同窓会もなかなか出席できませんが、すでに、皆さん、ノーベル賞の可能性もなくなり(?)、人生リタイアの域におるのですから、本業の化学の世界以外で活躍している方のこうした話をじっくり聞かせてもらうような同窓会も良いのではとも思っていますが、いかがなものでしょうか。

私のほうは、もっぱら、写真集です。こんな生活をしています。お楽しみください。           サウジ ラービグから

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